先週観た中で一番気になった映画は、「百合祭」。
日本映画専門チャンネルで観ました。
入居者が高齢女性ばかりの古アパートに、
ミッキー・カーチス演じるダンディ爺が引っ越してきた。
大家の妻も含めて、お婆さんたちは皆、彼の虜になってしまう。
映画の題材は、「老境の性愛」です。
日本の映画では、そんなに扱われない
ほとんどタブーのテーマですから、
そもそも稀有な作品というだけでも、観てよかったです。
主演の吉行和子さんは、撮影当時60歳半ばと思いますけど、
ラブシーン、存外に艶めかしくてびっくりしました。
NHK朝の連ドラ「つばさ」で吉行さん目撃するたび、
まだちょっとドキっとなるもん。
40歳代の時に出演なさった
大島渚監督の「愛の亡霊」のそれと同じくらいかもね。
このペースで行けば、80歳代でまた挑戦するのかな。
「せっかく映像作品なら、言葉よりも映像で語ってほしい」派としては、
この映画の重要シーンに限って、少しセリフ過剰に感じられました。
とはいっても、「言葉」を用いることで、できるだけ多くの人に
分かりやすく説明し、メッセージを伝えることを選択したんだろう
と、手前勝手に合点するところもあります。
敢えて避けられがちなテーマを真面目に扱うからには、
そこには普通、何か大事な主張があるものです。
「渡る世間~」など橋田ドラマなどは、人物の設定やら気持ちやら
なんでもかんでも、セリフや言葉で表現するのが特徴です。
このドラマを見てる人は、家事をしながら見てたり、
お年寄りなどは目も弱くなって、
あまり映像を頼りにできないだろうから、
こういう言葉での説明過剰は、とても合理的な演出なのでしょう。
で、まさに橋田ドラマを見ている人々が、
映画「百合祭」に、一番共感できる中心需要層でしょうから、
ちょっと過剰なくらいの「言葉」戦略で、
ぴったりうまい具合に伝わるのかもしれません。
私が最近観た映画で、「老い」をテーマに据えつつ、
言葉<映像 というパターンを用いてたのは、
吉田喜重監督の「人間の約束」でした。
こちらは逆に、あまり言葉に頼らず
映像の印象を頼りに、人物の心境や状況を漠然と伺わせる
というスタイルな映画なので、
見る人によっては、まったく意味不明に感じられるかも。
「人間の約束」のラストは、ただ単に
自動車が道路を走っているのを望遠で映したシーンなんだけど、
その車のスピードや方向転換の様子だけで、
車中の人間にどんなドラマが起きたか、察せられる仕掛けになっていて、
「これぞ映画の力量だよなぁ!」
と、えらく感動してしまいました。
「百合祭」と「人間の約束」
それぞれに、面白味があります。
機会があったら、観るといいよー
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